惠藤憲二が現代美術を語る
こんにちは!
惠藤憲二です。
今回も恵藤憲二が現代美術についてお話し致します。
日本語の美術は芸術即ち、『後漢書』5巻孝安帝紀の永初4年(110年)2月の五経博士の劉珍及による
「校定東觀 五經 諸子 傳記 百家?術 整齊?誤 是正文字の「?術」から来ており、本来の意味は技芸と学術である。
「美術」は、1873年(明治6年)、日本政府がウィーン万国博覧会へ参加するに当たる。
出品分類についてドイツ語の Kunstgewerbe および Bildende Kunst の訳語として「美術」
採用したのが初出とされる(山本五郎『意匠説』:全文は近代デジタルライブラリ所収)。
すなわち「墺国維納府博覧会出品心得」の第二ケ条(展覧会品ハ左ノ二十六類ニ別ツ)
第二十二区に「美術(西洋ニテ音楽、画学、像ヲ作ル術、詩学等ヲ美術ト云フ)(後略)」と記される。
あるいは西周 (啓蒙家)が1872年(1878年説もあり)『美妙学説』で英語のファインアート(fine arts)の訳語として採用した
1876年(明治9年)に初の美術教育機関として工部大学校に工部美術学校が開設された。
また、1877年(明治10年)の『内国勧業博覧会区分目録』の項目がある。
「第三区 美術 但シ此区ハ、書画、写真、彫刻、其他総テ製品ノ精巧ニシテ其微妙ナル所ヲ示ス者トス」
ファインアートのうち視覚芸術に限定した概念となった。詩、音楽、演劇などは上位概念の「芸術」が使われている。
以上。
惠藤憲二でした。
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